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「夢みて行い考えて祈る」(山村雄一先生)
昭和60年入学式祝辞より
わたしが大阪大学に入学したのは昭和60年の4月でした。入学式の祝辞は、当時の大阪大学総長山村雄一先生がご自身の有名なお言葉「夢みて行い、考えて祈る」を入学生にやさしく語りかけるというものでした。
そのときはそれほど心にとどめることもなく、その後の大学生活を過ごしました。しかし、卒業後の臨床研修を終え、大学院に入学し研究生活をはじめた時、入学式で先生が語られたお言葉が改めて深く、そして、鮮明に心によみがえってきました。研究するということは、まさに先生がおっしゃっていた通りのことであったからです。それ以来、わたしの臨床や研究を支える座右の銘となりました。
この間、荷物をあさっていたら、入学式の頃の「大阪大学新聞」が出てきました。紙面には山村総長の祝辞が掲載されています。大学卒業から25年を経て開業医となった今読み返してみても、意義深く心に染み渡る名文です。
この機会にブログに再掲させて頂きたいと思います。
「夢みて行い考えて祈る」
昭和60年大阪大学入学式 山村雄一総長祝辞
昭和60年4月10日 大阪市西区 厚生年金会館
皆さん、入学おめでとう。
今日は諸君にとって自らの専門領域を定め、これを学びはじめるという、一つの大きな節目の日であります。私が大阪大学の医学部を選んで入学したのは昭和13年でしたから、既に50年近くの歳月が経過したわけになりますが、その間に医学という自ら選んだ仕事を続けてきた経験にもとづいて、自分の一生の仕事を選び、それをやりとげるため自分自身にいいきかせるために作った自作の座右銘を紹介したいと思います。
それは「夢みて行い、考えて祈る」という言葉です。何故この言葉を選んだのか、研究者の一生を例にとって説明してみましょう。
まず「夢みて」を何故選んだのか。自らの仕事を決定し、始める動機は夢みることがよいというのが私の主張です。名誉や財産、権力などを手に入れることが動機であることは避けたいと考えるのです。また、実際に人間は夢みる思いで一生の重大事を決することが多いのです。
例えば、本来ならば医者となって病人を相手に一生を暮らすつもりで医学部に入ったが、その後医学者として一生を研究者として暮らしてしまう人—私もその一人ですがーをつかまえて、どうしてそうなったかを尋ねても、その答えは漠然としてつかみ難いことが多い。大きな発見をして人類のために役立ちたいとか、若いときから研究者になることを決意していたとか、明快な答えが返ってくることは稀であります。何となく研究をしているうちに面白くなってそのまま過ごしてしまったとか、開業医になる前の教養のつもりで勉強していたのが、研究に夢中になってしまったというような答えが返ってくることが多いのです。
だが後で考えてみると、これらの人達には一つの共通した動機がある。それは「夢みる」心を持っていることだと思う。研究を始めてみると面白い。この先にどんなことが見つかるかも知れない。その発見が大きなものであれ、小さなものであれ、それにぶつかったときには大きな幸福感を味わう。雄大な夢も、小さな夢も、はかなく消えてゆく夢も、まちがった夢も、すべて研究者が研究を始める動機であり、またそうでなければならないと思います。このことは何も研究に限ったことではありません。大学の学部を選ぶとき、自分の一生の専門を決めるとき、就職をする場所を定めるとき、場合によっては結婚する相手を選ぶとき、打算的にならず、どこかに夢があり、夢が一つの動機になっていた方がよいというのが私の主張です。
さて、夢ばかり見ていても仕方がない。その次は実行することです。研究者は研究に対して行動しなければならない。そこで「夢みて行ない」です。ここであとにくる「考えて」よりも「行ない」が先にきていることに注意して欲しい。私の経験によると、ここで慎重に考えこんでいると、結局は何もしないで終わってしまうことが少なくない。夢みた後は行動することです。もちろんある程度の調査は必要であるが、机に向かっていつまでも先人の輝かしい仕事を読み、感嘆ばかりしていては創造的研究にはつながらない。まず行ない、身体を張って働くことです。「夢みて行ない」です。
ノーベル賞を受賞する研究者は、ノーベル賞受賞者が主宰する研究室の出身者に多いことがわかっています。それは優れた先生に出会い、その声を聞いてためらうことなく研究を行ってしまうことによるのではないでしょうか。その意味で研究者になる第一歩はまず研究を行なうことであります。
考えることの大切なことは、その次に現れるのです。自分が興味を持つことは、他人もまた興味を持っているものです。研究が進んでくると人間が考えることはよく似たことになりますから、タッチの差でどこかで実行されていることがあります。自分の仕事に独創性や信頼性があるのか、内外の文献を調べ、繰り返し反省と批判を加え、じっくりと考える必要があります。その考えの中に、次の独創性につながる夢が出てくることもあります。また考えることの柔軟性と、ときには研究の方向を大きく変換させる決断力を養うことにつながります。「夢みて行い、考えて」であります。
そして最後に自らの研究が、ほかの人々に先駆けて行われたものであり、世の人々によって評価されるかどうか。それはただ天に「祈る」より仕方がない。高く評価されれば、それを喜ぶとともに次の仕事にむかい、うまく行かなければ天を恨むことなく、勇気をもって次の仕事に立ち向かうことです。かくして
夢みて行ない
考えて祈る
ということになります。
この言葉は一人の研究者としての私自身に対する戒めの言葉として作ったものですが、今日大阪大学に入学して、それぞれの専門の仕事を長く続けようとする諸君になんらかの参考になると思います。
最後にこの言葉で大切なことは、この順序を変えてはならないことです。行うことから始めると現実に流され、自らの心のよりどころがない。考えることから始めると遂に行わない恐れがある。祈ることから始めると科学的でなくなる。夢みることから始めてこそ人生にロマンが生まれ、たとえ失敗しても悔いることはないのです。
諸君の幸福で夢多き学生生活を祈ります。
以上を以て入学宣誓式の告辞とします。
昭和60年4月20日 第133号 大阪大学新聞より